2795回 例会報告202093日(木)晴  2791

☆司 会 宇佐美裕助幹事

☆開 会 吉原 寛会長

☆合 唱 なし

☆ゲスト なし

☆ビジター なし

出席報告 

会員数  出席対象者数    出席者数        出席率

47      46      36      78.26%

 

■会長報告■吉原 寛会長

暑さも幾分和らいできた気がしますが、昨年のこの時期には関東でも台風による大きな被害が出ました。急速に発達している台風10号が九州に向かっているとの事大変心配です。

先週は吉田隆男ガバナーを迎えての公式訪問でした。終了後 江上ガバナー補佐より「吉田ガバナーが良いクラブで何も問題が無いと褒めていました」との言葉を頂きました。そのように感じて頂けた当クラブを誇りに思います。会員の皆様ありがとうございました。

本日夜は暑気払いを兼ねての懇親会となります。出席予定の皆様よろしくお願いいたします。

■お誕生日祝い■

杵島正光会員、福嶋隆太郎会員、坂本智久会員、中村健悟会員、近藤清会員、森本孝彦会員

■幹事報告■宇佐美裕助幹事

1.吉田隆男ガバナーより公式訪問を終えてのお礼状

2.地区幹事より9月の「基本的教育と識字率向上月間」のためのリソースのご案内

3.9月ロータリーレート 1ドル=106

4.例会臨時変更 横浜西RC・横浜泉RC

・横浜本郷RC

5.会報恵送クラブ 横浜戸塚中央RC・横浜本郷RC

・横浜戸塚西RC

6.Rotary 9月号

■委員会報告■

○石渡章文プログラム委員長

今後のプログラム(変更など)について

○吉原守社会奉仕委員長

「ダメ・ゼッタイ。」国連支援募金への協力のお願い

■イニシエーションスピーチ■

〇井上彰英会員

大船からモノレール一つ目の駅、富士見町で趣味で始めた水中カメラの機材を作る商売をしております。ロータリークラブは小雀建設の小泉さんの紹介にて入会いたしました。ロータリークラブのゴルフ部の皆様には実は入会する前から誘って頂いておりまして、沖縄、タイ、ベトナムと既に参加しております。

生まれは小田原、父はサラリーマンの転勤族で小学、中学と関西を転々としました。母の実家は湯河原で旅館をしており、夏休みになると毎年その旅館の手伝いという口実で預けられました。親元を離れて自然の中で野放しで遊びほうけたこの経験が、私と海との出会いでした。

大学は日本大学農獣医学部水産学科です。ダイビング部を捜して入部。合宿して、その後は一月ほどバックパッカーになり離島をまわって過ごしました。大学4年になってからはダイビング雑誌を発行している出版社でアルバイトを始めました。水産試験場でもアルバイト扱いで研究させて頂きましたので、金銭面での充実した学生時代でした。

ダイビング雑誌は月刊誌で、月の前半は取材で潜りに行き楽しい思いをし、後半はその潜った海の紹介記事を書きます。

出版社に勤めて4年目にダイビングで知り合った妻との結婚を考えるようになりましたが、給料の上がらない出版社では先が暗いと落ち込んでいたところ仕事で交流のあったカメラ部品のメーカーから誘われ転職しました。

入社してからは勉強をしながら実践の設計ですから大変です。いつも会社の鍵を掛けて最終電車で帰るという生活でした。それから一年後結婚しましたが、結婚式一週間前に課長が体裁があるから新婚旅行に行けという命令。北海道の学生スキーツアーを新婚旅行にしました。その後おかげさまで、設計者として脂が乗ってきて

自分の理想とする水中カメラ器材を設計できる自信がついてきた転職して5年目に独立。有限会社イノンを立ち上げました。わたくし29歳の時です。

会社は今期で設立27期になります。今日現在社員24名。商品を作る作業は外注の協力工場にお願いしています。海外の取引先は34か国。大変小さなマーケットですが、コアなユーザーの支持を受けるメーカーになりました。

ロータリークラブに入り自分に何が出来るか実はまだ見えておりません。まったくの未熟者です。先輩の皆さま方のご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。

〇福嶋隆太郎会員

伝統ある横浜戸塚ロータリークラブに入会させていただき誠にありがとうございます。

今後はこのようなクラブの名に恥じない行動を微力ながら努力いたしますので皆様ご指導の程をお願いいたします。

私は昭和43年(1968年)生まれの52歳です。地元は現在も居宅を構える上矢部町ですが義務教育は当時、戸塚区分区前でしたので現在の泉区の岡津小学校、中学校まで通いました。最近感じますことは当時、共に遊んだ仲間や先輩、後輩が日々の仕事などで再会できたとき改めてこの地元の大切さを痛感しております。

大学時代は工学部建築学科を専攻しながらも学業というよりは日々(昼夜?)アルバイトに精を出していた生活だったと記憶しております。そんな学生生活が終わりを告げ、神奈川県が本社である地元のゼネコンの建築施工管理者として社会人生活がスタートいたしました。

当時、時代もバブルも終わりをつげながらも建設業界は尚成長の一途をたどっていましたから、現在ではかなり理解に苦しむ就業環境であったと思います。言葉が少し古いですが「限りなく黒に近いグレー」な環境であったかもしれません。就職したゼネコンは学校や警察署など公共施設を多く手掛ける企業でしたので、現場では近隣住民対応に大変気を使いました。朝の現場は近隣協定等を鑑みて8時スタートが主流ですが、我々若手職員は7時過ぎには現場ゲートを開場し職人の方たちを早く現場内に入場させないと朝刊とともに目覚める近所の諸先輩から、外に駐車している車へ「ご誘導」が来ますので走り回って対応することから日中仕事を行い、現場閉所後は明日の段取りと、当時は「夜の反省会」は部下のメインの仕事(?)でしたので、若かったから出来たのかもしれませんし、多くは語れませんが貴重な経験?をさせていただきた時代でした。

そうしたサラリーマン生活を6年強経験した後、平成12年、株式会社信友建設に転職いたしました。

サラリーマン時代の感覚がなかなか抜けず、諸先輩に指導を受けながらも毎日自分の生活をどう進めるかで一杯の日々でした。今にして思えばサラリーマン時代での財産は多くの人との出会いです。勤めていた会社の方々や多くの現場でお客様と知り合えご指導を受けたことが今の私を作ってくれたものと考えています。

現在の私は経営者として毎日暮らしていけるのも、このような多くの方々の支えがあったからこそであり、今後も新しい出会いが生まれることを社員全員に共有していきたい、そう思っております。あたらしい時代「令和」を迎えた現在、我々は新型コロナ対策という新たな目的とともに企業経営は求められるでしょう。ロータリーの精神である「奉仕の理想」はこうした時代だからこそ見直されるべき考えかもしれません。企業の利益追求、健康と安全の担保を様々な知恵を使い遂行し、お互いの交流が困難な時代だからこそ、地域とともに進み、活動していきたいと考えております。

今後も皆様のご指導ご鞭撻をよろしくお願いいたします。